2020月4月5日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
桜咲く4月、私が新社会人になったのは1993年4月、もう27年も前です。この年はいわゆるバブルが弾けた直後。入社した会社の同期は150人いましたが、ひとつ上の先輩は400人だったので、景気の悪化に伴い、急速に新卒採用が絞られていく始まりでした。そのあとも景気は上向くことはなく、しばらくするとバブル崩壊後の長期停滞を指して「失われた10年」とか言われていました。
桜咲く4月、私が新社会人になったのは1993年4月、もう27年も前です。この年はいわゆるバブルが弾けた直後。入社した会社の同期は150人いましたが、ひとつ上の先輩は400人だったので、景気の悪化に伴い、急速に新卒採用が絞られていく始まりでした。そのあとも景気は上向くことはなく、しばらくするとバブル崩壊後の長期停滞を指して「失われた10年」とか言われていました。
「失われた10年」という言葉が流行するなか、山崎正和さんという評論家が当時、真逆の「黄金の10年」と書いているのを目にして、まさに目からウロコだった記憶が残っています。もう20年近く前のことでうろ覚えなので、もしかしたら記憶違いかもしれないのですが、確かこんな内容だったような。
戦後の日本は高度成長とかバブル景気で、みんな給料は順調に上がって豊かになり、今日より明日はより素晴らしい世界であることが当然だった。でもバブルが崩壊することで、それは根拠のない単なる盲信であることに、やっと日本人は気付いた。この本質に気付くことができ、お金だけではない、本当の幸福を考えるようになったこの10年は、決して「失われた10年」ではなく、日本にとって黄金の10年だ…みたいな感じでした、確か。
経営者の端くれとして、この山崎正和さんの見立ては、実感を持って受け止めることができます。会社が右肩上がりで成長して勢いのあるときは、いろんな社内外の矛盾や課題は、そのままなおざりにされる傾向があるように思います。会社が儲かってしようがないときに、わざわざ面倒な矛盾・課題に向き合わなくてもいい…という心境でしょうか。こういった心境は、会社ではなく個人のレベルでもありそうです。しかしいざ壁にぶつかったり困難に直面したとき、また成長に陰りが見えてくると、目を背けていた矛盾・課題がばっと顕在化し、否応なく対峙しなくてはならなくなります。そして、はたと立ち止まって「これで良かったんだっけ?」と考えるようになる。個人レベルでは、なんかベタですが、病気になって健康や家族のありがたみを実感するとかでしょうか。
会社経営や経済の面では「成長」はとても重要なことで、そこに疑いを挟む意見は少ないはずです。でも成長ばかりが続くと、いつの間にか本質を見失い、本当に大事なものがなんであったのかを忘れてしまう、そんな見えない危機が膨らんでいくのかもしれません。いま新コロナウイルスの荒れ狂う猛威は、その終息の出口すら見えない状態です。今を耐え忍びつつも、そのなかで個人個人が本質的な価値を問い直す、自身を振り返るべき機会でもあるのかなとも思います。
新コロナウイルス後の世界は、2019年以前の元通りの世界になるかは分かりませんが、この嵐を乗り切ったあとの鹿児島が、その前よりももっと笑顔のあふれる街になるように、シナプスも力を蓄えていきます。