2020月10月23日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
社内で時折、さくらインターネット田中社長の去年のブログ「社会人の不幸の8割は合意のない期待から」が話題に上がります。会社幹部のミーティングで、自分たちが責任を持つスタッフとのコミュニケーションのあり方が議題となるとき、それはとても参考になりますし、また上司部下の関係のみならず、誰とのコミュニケーションにおいても応用できて示唆に富んでいます。ただ現実の組織にあっては、合意のある期待に期待をしてはいけない、または、合意のない期待に期待したいな…という考えもあります。
そもそもとして、ほとんどの経営者・上司に対して「合意のある期待」は期待できません。こんな考えを持った経営者・上司は極めて少数のはずです。この事実だけでも、合意のある期待に期待してはいけないです。でもこれは、考えようによってはチャンスでもあります。
自分が受けた新入社員研修のひとつに「新幹線のチケットを買う」というトレーニングがあって、今でも印象に残っています。トレーナーの先輩社員が上司役として、自分たち新入社員に「出張に行くから新幹線のチケットを手配して」と指示をします。こう書くとコントっぽくなりますが、その時の同期の一人は「分かりました!」と言って元気いっぱい部屋を出ていきました。もちろん正解(?)は、「手配して」の上司指示に対して、いつ・どこへ・何人でなどの質問をしなければなりません。気の利いたやつは「席は窓側ですか?」「グリーン車にしますか?」くらいまで確認します。
上司の合意のある期待に期待せず、そして依存せず。しかし、合意のない期待にしっかり応えれば、「あいつはやるな!」と上司の評価は上がるはずです。またプライベートであっても、合意のない期待に応える努力は、実ったときにそれはサプライズとなって、相手の感動にまで昇華するかもしれません。ある意味、合意のない期待と合意のある期待の差とは、評価アップやサプライズにつながる”余地”とも言えます。
あと、どんなにがんばっても合意のない期待への期待は残ります。
前回のこのブログで、映画「ミッドウェイ」に触れましたが、アメリカ側の中心的な司令官として、ニミッツとスプルーアンスが登場します。ニミッツはスプルーアンスの上司ですが、家族ぐるみの付き合いがあり、また太平洋戦争中は、スプルーアンスはニミッツの官舎に居候して、公私に渡って行動を共にしたそうです。その経緯のなかで両者は、作戦方針や価値観を共有し、ニミッツは「スプルーアンスは分かっているはず」「いざという場面で正しい決断を下せるはず」という確信、合意のない期待に期待をしたのではないでしょうか。戦争という不確実な出来事の連続の場面で、合意のある期待を列挙するのはとても困難です。となれば、合意のない期待に期待するしかありません。こういったことは、戦争という特異な状況でなくても、日常でもありそうです。
もう一つ。
合意のある期待を心掛けてくれる上司に巡り合った人は、本当にハッピーだろうか?とすら思います。上司と部下のコミュニケーションの行き違いが発生したとき、上司が「私の指示が悪かった。もっと事細かく指示するべきだったね。」などと自分だけが反省し、部下には改善を求めないようだったら、それは部下の立場の人の成長を阻害することにもつながりそうです。
上司の立場であれば、合意のない期待の極小化に努めるべきだし、部下の立場であれば、合意のない期待に応えることの極大化に努めるべき…という感じでしょうか。それがお互いの成長につながり、みんなのハッピーにつながる…そんなふうに思います。