2022月10月24日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
もう先月ですが、首都圏から山間部の村に移住者した方の取材記事が目に止まりました。この記事での「移住」は、ビジネス上の高い専門性をもった人が、ほぼ縁もゆかりもない地方のコミュニティに都会から入り込んでいくという、そもそも難しいことへのチャレンジです。素直にすごいなと思う反面、なんかもやもやした気持ちも残りました。
その記事では、田舎に移住してみると4つの課題を感じるとのことでした。それは、①仕事の金銭的な規模が小さい、②ネットがあってもやっぱり情報格差がある、③「あんた誰?」と言われる、④子どもたちの職業選択が限られる…ちょっと表現を変えていますが、この4つです。鹿児島という地方に住んでいての実感からして、まあその通りです。大きな異論はないです。ただ一方で「それがどうした?」という感想も持ちました。その感想を持つ理由も、なんとなく自覚するものがあります。それはブログタイトルの「島と街の披露宴」に参列したときに感じたことにあります。
5年ほど前、沖永良部でお世話になった方のお嬢さんの結婚披露宴がありました。そのお嬢さん/新婦と新郎は鹿児島市内で働いていたので、披露宴は鹿児島市と沖永良部島でそれぞれ開催となりました。1組のカップルで2回の披露宴なんてなかなかない機会です、両方に参列しました。
1回目の披露宴は鹿児島市内の式場です。素晴らしかったです。センスの良い音楽と照明のもとで、若い新郎新婦は人力車に乗って登場しました。会場は一気に盛り上がります。美味しい食事と行き届いたおもてなし、余興で場を盛り上げる友人たち、新婦の感謝のスピーチにみんなの感情も高まります。エンディングはいつの間に作ったのか、披露宴の様子をまとめた短編の映像で締め括ります。新郎新婦のリクエストをしっかり形にまとめた、ウェディングプランナーと式場のプロフェッショナルも感じました。
2回目の披露宴は、沖永良部島の大きい公民館が会場です。災害時の避難施設にもなっていて、200~300人が入れる規模です。披露宴当日は時間もあったので、開式のずっと前に、新婦の父について会場に行きました。さすがに避難施設なので、その外観に結婚披露宴の華やかな要素は一つもありません。まだ開式にはけっこう時間もありますが、駐車場にはもう多くの車がありました。施設の中に入ると、多くの方が披露宴の準備をしています。メインは新婦・新郎と同年代の若い人たち、あとそのお母さんくらいの人たち。会場に長机や椅子を並べたり、ステージの装飾をしたり。また避難施設なので炊事設備が整っており、そこで料理を作ったり。あと高校生も何かをしている…。「おお、みんなで準備するの?」と。こういう状況ですし、ウェディングプランナーはもちろん見当たりません。その代わりなのか、新婦父がなにか指示を出している状況…。こんな文字通り手作りの披露宴は、生まれて初めてです。
披露宴前になって、おじいちゃん・おばあちゃんたちも集まってきました。みんなお互いに知り合いな様子、しかも世代を越えて。披露宴の円卓で知らない人と同席というのはありがちですが、ここの披露宴はみんな知り合いなのかな?準備で見かけた高校生は新婦の高校の後輩たちでした。後輩と言っても年齢的に同じ時期に通学した近い世代ではないはずです。その後輩たちは書道のパフォーマンスで魅せてくれました。披露宴の締め括りでは、みんなで輪になって踊りました。私は見よう見まねでの適当な踊りでしたが、とても楽しかった!
同じ1組のカップルの、2回の披露宴について。もちろん、どっちが良い/悪いという話ではないです。ただ、沖永良部の披露宴は個人的に衝撃でした。沖永良部島にも結婚式場はあるので、全ての披露宴がこういうものでは無いはずですが、衝撃でした。
この2回の披露宴の体験から、冒頭の移住の4つの課題を読み返すと、都市の価値観とものさしで”地方”を見ていないか?という疑問をどうしても感じます。そもそも異なるものなのに、片方のものさしで測ってしまったら、それは課題が生まれるはずです。さらに今や多くの人が、都市のものさしに対して疑問を持ちつつあるのではないかとも思います。その証拠の一つがきっとこの”移住”です。にも関わらず、都市のものさしで地方を見てしまうという、なんかジレンマ。
都市のものさし・価値観で、ここ鹿児島が東京や海外の巨大都市を越えられるとは到底思えません。またその必要もあまり感じません。鹿児島は自信を持って鹿児島のものさしを標榜していく、そんなことができればなと思ったりもします。