2023月2月27日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
家でも会社でも「前も言ったけど」とか「人の話を聞いていない」とよく言われるので、コミュニケーションがうまいなんていう自信は全くないのですが、それでもコミュニケーションの重要性は分かります。コミュニケーションの基本は自分と相手の一対一かなと思いますが、その一対一のコミュニケーションをいつの間にか見ている、直接その場では関係のない第三者とのコミュニケーションの大切さにも気付かされました。
ただよく考えれば第三者とのコミュニケーションの大切さは、実は改めて言うまでもないことでもあります。例えば、お父さんお母さんの夫婦関係が健全で良好あれば、その子どもは良く成長するとか、聞いたりしますし。テレフォン人生相談でもありがちな感じで。
今回改めて第三者とのコミュニケーションの大切さを実感したのは、ここ数年でいくつかの出来事が重なったからです。一番初めは3、4年前。異業種交流での懇親会に、自分とシナプスの社員と一緒に参加したときです。懇親会に同席した仲良くさせてもらっている社長から後日、「社員さんと竹内さんの会話を聞いていて嫌悪感を覚えた。社長に対してあの言葉遣いはおかしい。」と言われたときです。でも当の本人の自分自身とその社員の間では、全く違和感のない会話でした。もう20年以上の付き合いがあるので、確かに敬語はいい加減です。でもお互いに分かっているので、なんの不快感もありませんでした。でもその二人の関係を知らない第三者からみれば、それは不快に映りました。
こういうことは社内でもありました。社内SNSでの文字でのやり取りです。社内SNSは原則オープンにしているので、ある社員との一対一のやり取りを他の社員が見ることもあります。ある社員とのノリツッコミのようなライトなやりとりをしたときですが、それを見ていた他の社員から、しばらく経ってから言われました。「あのやり取りでの文章表現は怖かったです」と。ここでもSNSの当事者間ではなんの違和感も無い、ライトな冗談のやりとりです。でもその当事者間の関係性を熟知しない他の社員から見れば、とてもネガティブに映ったようです。
このような第三者とのコミュニケーションの課題は、竹内自身やシナプス固有のものでもないとも思います。ある業界団体で組織活性化の話をするなかで、新しく参画した仲間にもっと活躍の場を…という話になり、そのときあるメンバーが、団体の「閉鎖的な雰囲気」を提起しました。でもその話に参加している他のメンバーの大勢は、「どこがいったい閉鎖的なの?」という意見でした。確かにその業界団体は、誰かを排除するような排他的な志向は全くなくオープンですし、会社規模や肩書きもほとんど関係なく、フラットに付き合いができています。何を言っても不当に非難されることはないですし、また実際に「閉鎖的な雰囲気」を言い出したそのメンバー自身、何でも言える雰囲気だからこそ周りに気兼ねなく自分の言いたいことを言ったと思います。でも「閉鎖的な…」は、自分も感じていたことがありました。この団体に参加するようになった当初、先輩メンバーのみんながお互いに笑顔でニックネームで呼び合う雰囲気に、疎外感を感じていました。この疎外感は、10年以上ずっと感じ続けていたような。先輩メンバーみな本当に良い人で、オープンでフラットで、しっかりと個人を尊重してくれます。嫌いじゃないのに、でもなかなか疎外感が抜けなかった…。
個人同士や組織での関係性が成熟し、その関係の”良好さ”が高まっていくと、逆にタコツボ化していくというジレンマ。目の前の一人とのコミュニケーションですら簡単じゃないのに、第三者も意識してコミュニケーションをしなくてはならないなんて、なんと難易度の高いご時世なんだ…と本当に思います。
組織としてどうすればタコツボ化のジレンマを防げるのかな?と考えてみましたが、名案はないですが、一つは「仲間を加え続ける」ことかなと思いました。仲間を加え続けることで、関係性を極度に成熟化させ続けないというか。
一方で、ではそういった組織に新参者として入った個人の側としては、どうすればいいのかな?も考えてみました。「タコツボ化した組織のほうが悪い!」と言うことも正論ですので、その組織を脱退できるのならそれでもいいですが、あまり前向きな解決策とも思えません。これも名案はないですが、前述の業界団体での自分自身の経験をもとにすると、意識して周りの人に貢献してみることが一つあるかなと思います。自ら手を上げて、なにか役割や仕事を引き受けてみるということです。自分にできそうもないことでも大丈夫です。周りがサポートしてくれるはずですし、万一明らかにできないことに手を上げてしまったのであれば、その時点でアドバイスをもらえます。そこで相互理解の機会が増えます。
第三者とのコミュニケーションは難しいですが、会社・組織としてはある一面では、これが「社風」につながるとも思います。あきらめずにやるしか無いですね…。