2023月10月23日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
インターネット黎明期の2000年にシナプスに入社して以来ですが、けっこう「言葉」や「文章」には気を使っている方だと思います。入社前後からコミュニケーション手段としての電子メールが一般化してきましたが、ちょっとした文章表現の配慮不足で誤解を招いたり、無用なあつれきを生んでしまったりしたことが多々ありました。結構気をつけている今でも、未だに失敗があります。
なので言葉の意味や漢字などもよく調べたりします。そういうなかでここ数年ですが、「その日本語、使い方違うよ。」と思っていたものが、いつの間にやらすっかり市民権を得てしまっている…という言葉が、ぱっと思いつくところで2つあります。
1つ目ですが、これは比較的最近になって市民権を得た?表現だと思うのですが、「課金」です。SNSで「ゲームで課金した」というような表現をチラホラ見かけて、「いやいやいや、課金は利用者じゃなくて、ゲーム会社がするものだから!」と一人ツッコミを入れていました。しかし最近はネットのニュース記事などで、ゲームにお金を支払うことに対して「課金」を使っているのを目にします。古い人間としてはモヤモヤしますが、言葉の変化とはこういうものなのかもしれません。
あと2つ目は「大丈夫」です。うちの娘に「一緒に昼飯食べに行く?」と誘うと「いや、大丈夫。」という返事が返ってきます。大丈夫?なにが大丈夫なの??とも思いますが、この拒否の意味の「大丈夫」は、知らないうちにすっかり市民権を得ているようです。というか自分も、コンビニでポイントカードの提示を断るときに使っていたりします。この拒否の大丈夫をちょっと調べてみると、「「大丈夫です」は、どうやって「断り表現」に変化してきたか」という記事を見つけました。この記事によると2002年くらいから、拒否の大丈夫が登場しだしたようです。もう20年も経っていたのか。
先々週くらいですが、ある記事がきっかけで、また言葉に関する発見がありました。その言葉は、ブログタイトルにある「がんばれ」です。「がんばれ」「がんばろう」という励ましは、よく知られたところでは、メンタル的に負担を抱えている人は励まさない方がいい、というのがあります。ただでさえも過度な負担を感じているのに、励ますことでさらに負担を増やし、結果として追い込んでしまうというものです。しかし今回の記事は、また別の視点でした。それは河合隼雄さんという心理学者と小川洋子さんという小説家の対談が大元らしいのですが、
- 日常の中で、何げなく相手を励ましているつもりでも、むしろ中途半端に放り出していることがある
- それはつまり切っているということです
- 励ましの言葉で「『頑張れよ』っていうのは、つまり『さよなら』ということ
とありました。そう言われてみれば、なんとなく分かります。なんとなくというのは、うまく説明はできないけど、実感としては分かるというものです。いろんなシチュエーションがありそうですが、完全に意図的に「もう好きなようにすれば?」といったネガティブな意図の「がんばって」とか、残業をしている同僚を残して先に帰るときのあいさつとして「がんばってね」とか、なんかイメージできます。この何気ない「がんばって」という、何気ない励ましは、確かにこの指摘にあるようにあまりポジティブな言葉ではないのかもしれません。使うのであれば、もっと寄り添った姿勢と表現であるべきで「一緒にがんばろう」というニュアンスが必要に思います。「がんばれ」「がんばって」は相手を思って投げかけた言葉を装いつつ、実は相手を他人ごと化する、自己満足・自己正当化の言葉だったのかも、とか。
シナプスの経営理念/バリューの一つに「私たちは、相手に寄り添ったコミュニケーションを心掛けます。」があります。この「がんばれ」をはじめ、このバリューに基づいた言葉や表現、そのベースとなる姿勢のあり方。自らを見直していくことは、まだまだ多そうです。