2023月11月13日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
社長という立場で仕事をしていると、様々なシーンで「最終判断」を求められます。もちろん正解の判断を目指しますが、ほとんどの場合正直なところ、そんなことはよく分かりません。逆に正解が明確に分かっているなら、誰でも判断ができることになります。なので判断をするときには、もっとも正解っぽいと思われる判断をすることになりますが、その「正解っぽい」を導くために、社員を含めて、周りの人に意見を求めることになります。
このあたりは、経営者それぞれのスタイルがあります。自分の考えに強い確信を持っている経営者であれば、周りの意見を聞かない時もあります。逆に意外ですが、自分の考えに実は自信がない経営者であっても、そうだからこそ周りの意見を聞かないときもあります。
私はというと、自分で言うのも非常になんですが、比較的周りに意見を求める方なんじゃないかと思います。理由はかんたんで、自分の考えに自信があるかないかというよりは、情報の見落としや、視野の偏り、結論を導くロジックの間違いなどが、必ずあるはず!という、そっちのほうの自信があるからです。思い違いなんて、これまで数え切れないくらいやってきましたので。なので自分の出した結論のチェックをする意味でも、周りの社員に対して、前提条件とした情報を極力共有した上で、結論に至った経緯やロジックも含めて説明し、意見を求めるようにしています。
ただそうやっても、出した結論・判断について、必ずしも全面的な賛同を得られるとは限りません。ほぼと言ってもいいほど、反対の意見があります。その時に反対意見を言ってくれれば良いのですが、後から言われることもあったりなど。こういう時、自分の下した判断が本当に正しかったのか?と不安になります。そうした時に思い出すのが「鈍感力」という言葉です。
むかしニュースで見た記憶があるのですが、小泉純一郎元首相が言った言葉です。記憶が曖昧なのでネットで調べたところ、「2007年2月20日、安倍晋三内閣の支持率の低下に悩む与党幹部へ小泉純一郎前総理がエールを送った際、「目先のことには鈍感になれ。鈍感力が大事だ」と語った」という記事を見つけました。16年前ですね。この鈍感力ですが、2007年の流行語大賞にノミネートまでされましたが、今回始めて知ったのは、この鈍感力は小泉元首相の造語ではなくて、「鈍感力」という本がそもそもあったとのことでした。そうだったのか。
ということで「鈍感力」の本を読んだことはないのですが、周りの意見を自分がうまく消化できなかった時には、この鈍感力を思い出します。鈍感でいこう!と。
ただ最近この鈍感力ですが、ちょっと懐疑的にもなっています。あまりにも失礼ではないか?と。あとあまり生産的な思考でないのでは?など。自分が消化できない意見や批判をくれた人が、やじ馬的な関わりの薄い人であれば、鈍感力を発揮してスルーしてもいいです。でもそれが社員であった場合、スルーはできません。お互いの関係性にネガティブな影響があるのはもちろん、実際の業務遂行に関わってもらう場合は、その取り組み意欲にも影響します。また一度スルーすれば、次回意見を求めた時に「どうせスルーでしょ」と思われて、意見をもらえなくなります。自分が消化しきれない、受け止めきれない意見。でも鈍感なスルーも許されない。どうするか??
いろいろな方法があるかもしれませんが、現時点での、ベターだと思うこのジレンマ解消方法は、「なんのため?」を鮮明にして、共有することです。自分が下した判断や結論と、それに異を唱える意見の対立。その2つの意見を「なんのため?」という天秤にかけます。対立するポイントを探っていくとほとんどの場合、両者の「なんのため?」という視点にずれがあったり、もしくは「なんのため?」がそもそも不鮮明であることが多いです。お互いの意見の前提条件である「なんのため?」に行き違いがあれば、お互いの意見がばらついても当然です。なので自分が消化しきれない意見をもらった時は、一緒に原点に帰って「なんのためだったっけ?」を再確認するようにしています。
まあ当たり前のことなのかもしれませんが、鈍感力でごまかさずに、「なんのため?」の視点の共有で、よりもっともらしい正解にたどり着く議論をしていこうと思います。あーでもこれがうまく漢字3文字にまとめられれば、流行語にノミネートされるかもな…。