社長ブログ

水口ユキエ

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
地元の鹿児島県姶良市ネタです。そもそも姶良(あいら)って地名が読みにくくて、また観光ガイドで注目されるようなスポットって、あまり思いつきません。いや、あるにはあります。蒲生の大クスとか。でも徒歩とか自転車のペースでゆっくりぶらぶらすると、けっこう意外なスポットを発見したりします。そのうちの一つが「水口ユキエ」です。

時間はあるけど浪費がはばかられる失業時期によく、姶良市内を自転車でぶらぶらしていました。そんな時に発見したのが水口ユキエの史跡でした。山田川の川沿いを(本当に)あてもなくさかのぼっていたら、「水路創設者・水口ユキエ嬢記念碑」なる石碑を発見しました。「水口ユキエ…誰それ?」です。その脇に説明書きの案内板がありましたが、江戸時代の1750年代の”少女”とのことでした。貧しく不毛の地だったその近辺一帯に水路を開き、豊かな水田に変えた、超功労者です。なんかすごい!当時15歳の少女なのに!しかも周りの大人の「そんなことができるわけない」を説得して着工。しかし簡単な工事ではなく協力者が減っていく中で、自分ひとりで工事を続けます。そんな姿に、再び大人たちが協力に加わり、水路を掘り、トンネルを掘り…。結果、総延長4kmの水路が完成し、豊かな水田地帯になりました。ここまででも、すごすぎます。日本全体の課題として「日本には起業家が少ない」「起業家を生む風土がない」「男女格差が!」などいろいろありますが、300年近く前に、ここ姶良の一人の少女が、あらゆる障害を乗り越えて大事業を完遂していました。
そして続きがあります。このユキエさんですが、水路完成後になんと…村人に殺されてしまいます…。理由は、頭が良すぎて末恐ろしい…などという理由で。おい姶良の人!なにやってんだ!

水口ユキエの史跡は、この記念碑以外には「水口ゆきえの墓」があります。ここにも案内板はありますが、書いてある内容は記念碑とほぼ同じです。あとネットで調べてみても、同じような情報しか出てきません。想像ですが、たぶん同じ情報をもとにしているのかなと。水口ユキエについて、それ以上の詳細は分かりません。ただ現代のリアリティで考えてみると、そんな少女が存在し得たのだろうか?と、ちょっと疑ってしまう大人の気持ちがここにあります。江戸時代の田舎の少女ですが、土木の知識はどうやって学んだんだろうか?とか。地形を俯瞰して「水を引ける!」と発見するなんて、並大抵じゃなさすぎて。そして殺されてしまいますが、おい!そのとき親は何してたんだ!?とかも。子孫が用水路の管理を任されたとのことなので、親はもちろん兄弟とかもいたはずで。いろいろ疑問も残ります。

ということで、ユキエさんと同じ集落に古くからあるクリニックにたまたまお世話になっていたので、そこの先生にそういった疑問を尋ねてみました。もちろんユキエさんをご存知でしたが、詳細までは知らず。ただ「幕府公金の横領の罪をなすりつけられて殺された、とも聞いたことがある。」と!一個、情報が増えました。
そしてそういえば!と思い立ち、歴史関連の公共施設に行ってみました。書庫の郷土誌などをあさっても情報はやっぱり少なく、案内板以上の話は見つけられませんでした。そこで最後の手段で、その施設の方に「興味本位なんですが…」と伺ってみました。さすが!即答でした。結論から言うと「文献や金石文などの一次資料がなく、分からない。」でした。ユキエ殺人事件は、昭和25年の調査資料に初めて文献として登場します。当時の聞き取り調査からユキエ殺人事件が語られたものの、その文献では、確証はないと結論付けられているとのこと。その方曰く…個人的想像だけど、ユキエさんは”水口“の生まれなので、水路管理に長けた親族がもともと近くにいて、幼い頃から知識を得ていたのかもしれない。そして若くして亡くなったことは間違いないのだろう。死後に水路開発の顕彰で、一部の人によって供養碑が作られた。でも後世になって、その供養自体が実はユキエに対してヤマシイことがあったからでは?という勝手な憶測を生み、供養した村人によって殺されたという面白半分に脚色した話が創られたのでは?と。おーなるほど!しかしその想像が仮に正しければ、今度はユキエさんを供養した姶良の村人がなんだかかわいそう。濡れ衣もいいところだ…。歴史は勝者によって作られるとも言われますが、こういった地域の”小さな歴史”は、ウワサ・憶測・面白半分で作られるのか。

いまは情報通信技術が発達し、世界中の情報がリアルタイムで見聞きできて、膨大な情報ストックにいつでもアクセスできます。とは言っても現実として、伝える側の発信力、メディアの関心と拡散力、受け手の興味関心と理解力で、情報に大きな偏向が発生するのも事実です。となれば、昔どころか今も、正しい歴史なんて存在しないか、もしくは人の数だけ正しい歴史が存在するのかも知れません。郷土の偉人/ユキエさんからいろいろ考えさせられました。歴史は難しいなあと。