社長ブログ

あのときやったこと

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
シナプスの5月は、今期の全社経営方針・計画を、各社員個人の目標へと具体化していく月となっています。基本的に面談をして目標の具体化と共有をしていくので、担当する課長はなかなか気が休まらない日々となりそうです。

シナプスの人事評価は、ほぼ行動で評価されます。その行動は、いま具体化を進めている目標取り組みと、あと自己の成長への取り組みの2つの視点から見ます。この自己の成長については、本人の動機が一番重要だと思っています。会社は時間とお金の面で各社員の成長の支援はできますが、ベースは本人の気持ちです。最近難しいなと思うのは、ほめて伸ばす、長所を伸ばす…ですかね。やたらほめ過ぎたらわざとらしくなってしまうし、あと長所のみに着目して、短所は克服しなくていいのか?とか。特にほめるや長所という話は言葉が独り歩きしている感じもして、面談で「私は自分の長所を伸ばしたいです」と言われるときもあります。そうなると、自分自身の嗜好に合わない成長機会などは忌避されがちです。でも私個人の実体験として、「あのときやっておけば」とか「あの時はいやいやだったけど、今役立ってる」ということは、けっこうあります。

新卒で入社して2年目くらいの話ですが、ある電子部品の開発をしていました。2年目ですし、ほぼ上司の雑用係です。その開発(雑用?)業務の中で、電子部品の機能や特性を分析する仕事がありました。しかしさっぱり分かりません。上司の言いなりで時折、分析の雑用をやっていました。そんなときに全社の研修制度の中で「分析入門」という3日間くらいの集中講座があり、上司に参加させて欲しいと申し出ました。こんな前向きな部下の申し出に対して、上司の返事は「だめ」でした。「そんな時間はない、あんな研修は無駄だ。」と。その時の感情はあまり覚えていないですが、まあ前向きではなかったと思います。しかしそれからしばらくして私は、小さな部署の中ではありますが、分析に詳しい社員になっていました。それは私がなにか頑張ったとかではないです。上司からの雑用が増えたからです。
分析は専門機関に依頼するのですが、そこへの”お使い役”という雑用が増えました。同じ敷地内ですが、歩いてちょっと掛かる専門機関まで電子部品の現物を持って行き、分析の目的や手法を相談しに行きます。でも目的・手法が曖昧だと「ちゃんと決めてから持って来い」と突き返され、また戻って上司に確認し、そしてまた持って行き…を繰り返していました。そんな雑用を日々繰り返す中で、専門機関の人と交渉し、上司に何度も確認をするなかで、自然と分析の知識と経験が蓄積されていきました。今思い返せば、分析講座にNGを出したその上司の計らいだったんだろうなと。

あと40歳代前半くらいに一気に歳をとりますが、その時の経理や財務の業務も、後日社長という立場になってから身にしみてやっておいて良かった…という経験でした。ある病院で事務をやっていましたが、主な業務は修繕でした。入職して3ヶ月くらいでしたが、上司から「きみは理系だったよね?算数は得意だよね?」と言われ、入職時の求人票に記載のない、まったく未経験の「経理」をやらされました。簿記3級の資格は持っていましたが、経理の仕訳や決算などの実務は初めてです。そして、約200人分の給与計算がまためんどくさい。所得税・住民税とか算定基礎とか年末調整とか。こういったことは税理士さんなどに外部委託する会社も多いですが、この病院はほぼ自分たちでやっていました。もう毎月毎月忙しかった…。しかし、先にも書きましたが社長という立場になって、ここでの経験が今はまさに宝のように活きています。当時は思いも寄りませんでしたが。

さらにもう一つ。学生時代20歳前後の話に一気に若返ります。あのときやっておけば人生がまた変わったかも知れない…と、なぜか未だに思い出す、でも実に些細なできごとがあります。ある全国規模のボランティアに入っていて、そこで簡単な事務的な仕事をちょっと手伝っていました。ある日事務所で淡々と事務処理を行っていると横で数人が、数百人が集まるイベントの企画を相談していました。その相談が終わってみんな帰り、責任者の人が一人残って何か作業をしていましたが、不意に「あっ、大事な司会をどうしようか。」とつぶやきました。椅子の背もたれに寄り掛かり天井を見ていましたが、突然こちらを向いて「竹内くん、司会やる?」と言われました。あまりに唐突で「えっ?」となりました。数百人規模のイベントの司会です。めちゃくちゃ重たい任務です。「いや、ぼくはそういうのは向いていないと思うんで。」とやんわりかわしました。それからちょっと間をおいて責任者は「そうだよね。みんな向き不向きがあるよね。」と言ってちょっと笑い、また自分の作業に戻りました。たったこの些細な一瞬のことが、それから30年以上経た今でも、なぜかたまに思い出されます。当時も今も、人前で何かをするのは好まないし、向いていない気持ちは変わりません。ただ社長という立場になって7年、そんなことは言っていられず、やっています。そうするうちに、慣れてきた面もあります。そしてそのスキルとしての重要さも実感しています。もし30年前のあの一瞬で、「司会」を引き受けていたら、ここ数年で気付いたことに、当時からとうに気付けていたのでは?と思ったりします。そして自分に司会が務まったのか?について、当時は当然自信はゼロです。でもあの責任者は大事な司会を、偶然そこに出くわしただけの学生に思いつきで任せるだろうか?とも、今なら客観的に見ることができます。少なくともできそうもないやつには任せないよなと。ただその「司会やる?」の一瞬に対する、やると答えるか答えないかの瞬発力は見定めたんだろうな…とか。そして自分は、その瞬発力がなかったんだなと思います。

「幸運の女神は前髪しかない」という名言をよく見聞きします。30年前の後悔を、もう繰り返さないようにします。