2024月6月24日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
最近のSNS界隈で「挨拶しない自由」の議論が巻き起こっっているらしいです。ただ自分の周囲のSNSでは全然見たことがないので、真偽のほどは不明。それは6月19日付のビジネス向けコラムで初めて知りましたが、そのコラムではおおよそ…日本の会社は”ムラ社会”なので挨拶(コミュニケーション)が重んじられる。今後会社や働き方がグローバル風に変わっていけば、挨拶がどうのこうのというこんな議論は無くなる…という主張です。
そのコラムの主張には、あまり賛成の気持ちはないです。会社組織において、残念ながら得意不得意に関わらず、コミュニケーションやコミュニケーション力は重要だと思います。それは日本企業がムラ社会だからでは無く…です。海外や外資系での勤務経験は無いので伝聞と想像ですが、以前Metaで働く人に聞いた「異文化コミュニケーション」の重要性の話や、あと外国人のZoomミーティングではビデオONが当たり前とか、会議で発言しないと存在価値を認められないとか、そういったことから海外でもコミュニケーションは重視されていそうです。
会社やビジネスシーンでコミュニケーションが重視される理由を考えてみましたが、シンプルに「仕事の成果は他人の評価に依存している」からかなと。会社全体としては、お客様という他人に評価をいただき、サービスや商品を買っていただかないと成り立ちません。なので会社を構成する会社員も、自分に仕事を任せる他人の上司の評価如何です。社長という立場でも、株主やお客様といった他人からの評価なしには存在し得ません。ビジネスシーンでこの「他人の評価」がベースとなって利益につながっている以上、コミュニケーション力があったほうが良いに決まっています。コミュニケーションを忌避するのであれば、アートの世界に転身するか、山に庵を結ぶか、他人のぐうの音も出ない力で圧倒するかです。
とはいっても私は、コミュニケーション力至上主義ではないです。そもそもコミュニケーションの重視はビジネスシーンという一面のみの話で、そのスキルの多少は、人の本質的な価値全てを表すものではないです。会社組織にあってもコミュニケーションに秀でた社員ばかりは集められないでしょうし、それはそれで偏りを生み、組織を弱くしそうです。ましてや私自身も、コミュニケーションは不得手な方である自覚があります。飲み会のほとんどで1次会から2次会の間ですーっとフェードアウトしますが、ここ数年の反復により最近は、なんか周りからそれでも許される?ようになってきました、たぶん。
コミュニケーションが苦手という人も、少なくないでしょう。時たま「私はコミュニケーションが苦手です」と、堂々と宣言?する人に会ったりします。苦手意識でそのまま諦め、止まるのもいいですが、ビジネスシーンでは「じゃあどうする?」と、受け入れつつも次を考えたほうが得です。100%完全に個人的見解・私感ですが、コミュニケーションの苦手な人の多くは、その場の自分の心地よさばかりを重視して、相手の心地よさに思いを馳せず、相手に注意を払っていない気がします。注意を払わないということはつまり、相手を見ていない、聞いていないということです。コミュニケーションという双方向性の第一段階からつまずいています。でもコミュニケーションが苦手という自覚があることは、結果的に良かったです。それ伸びしろですし。そういった自覚もなく、コミュニケーションスキルが高くないのに饒舌な人でなくて、良かったです。
どうやったらコミュニケーションがラクになるか、コミュニケーションスキルが向上するか?ですが、分かりません。ただ個人的なハウツーは決めています。知人がいないアウェー空間な飲み会などに行かざるを得ないとき、自分に言い聞かせることが2つあります。1つ目は「ひたすら聞く」です。相づちとオウム返しと作り笑顔と「すごいですね!」で乗り切れる場面も多いです。2つ目は「今日は練習だ。」と決めることです。そもそも縁の薄い集まりのはずなので、なにかしくじっても失うものは小さいです。普段と違うキャラでチャレンジして楽しむのもアリです。周りに不快感を与えても、次会う機会はそうそうありません。そしてまたその居心地の悪さは、新しい発見や出会いにつながる可能性があります。そうするとアウェー空間は実は、失うものは小さく得るものは大きい場、ローリスクハイリターンな場とも言える…というふうに自分に言い聞かせたりもします。
いろいろ難しいですが、コミュニケーションの達人?として頭に浮かぶのは”ねこ”です。私は本来いぬ派ですが、なんでねこってあんなに構いたくなるんだろう。