社長ブログ

薩摩錫器と種子鋏(3)

こんにちは、シナプス代表の竹内です。前回「薩摩錫器と種子鋏(2)」の続きです。繰り返しになりますが、薩摩錫器も種子鋏も、本当に好きなんです。

薩摩錫器と種子鋏

好き嫌いはさておき、薩摩錫器と種子鋏を冷静に見てみると、大量生産される真空断熱タンブラーや100均ハサミに対して、分の悪さを認めざるを得ません。薩摩錫器も種子鋏も、今や珍しさや貴重さを感じる工芸品であり、毎日常用する道具としての立場は失っています。ではなぜ、そんなモノを今さら作る人がいて、そして少ないながらも、買い求める人がいるのか。薩摩錫器と種子鋏の、どこに魅力を感じるのか。買い求めた一人として自分を振り返ると、それは作った「人」と作った「プロセス」かなと思います。

薩摩錫器と種子鋏を道具と割り切ると、真空断熱タンブラー・100均ハサミに敵いません。でもそれは道具の宿命なのかなと。道具それ自体は目的ではなく、それを使って、何かしらの結果や利便を得る手段です。なので道具は、いつも期待される一定の結果や利便が得られるように、規格に基づいて精度良く作られる必要があります。そこにもし道具に個性があるとすれば、それはばらつきであり、工業製品としては低品質なものです。道具という分野で求められるものは、期待の結果を得るために備える機能であって、その道具を作る人もプロセスもまったく意味がないものです。

そう考えると、薩摩錫器と種子鋏、そして真空断熱タンブラーと100均ハサミは、同じ評価軸で考えてはいけない似て非なるもののように見えてきました。工芸品の魅力は生み出す人とプロセスであり、工業製品の魅力(?)は生み出された機能と結果にあるからです。

鹿児島と東京

若干飛躍しますが、鹿児島などのいわゆる「地方」が、東京などの「都市」に伍して今後も魅力的な街であり続けるためには、工芸品の魅力づくりと同じ取り組みが必要なのでは?と思います。経済規模の面で、工芸品が工業製品に対して圧倒的な劣位にあるので、「工芸品の魅力づくりと同じ取り組み」は勝ち目のない取り組みのようにも見えます。でも実際、東京の後追いのような地域活性化の取り組みで、ミニ東京になって繁栄があるとも到底思えません。また経済規模の維持や拡大を追うことが、暮らしやすさとかの街の魅力の観点で、本当に正解なのかという疑問もあります。

「工芸品の魅力づくりと同じ取り組み」がどういったものかは、まだ明確には分かりません。ただ最近の働き方改革やワークライフバランスという「人」に注目した取り組み、またいろんな商品の機能性ではなく、その物語に着目したマーケティングが脚光を浴びている状況をみると、その方向に正解がありそうな気がしてなりません。

シナプスの経営理念「インターネットで、鹿児島の毎日を笑顔にします。」を追い求めるために、その正解を目指したチャレンジをしていかなくてはと考えています。