社長ブログ

第三者の正論もそのときどき

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
どのニュースもいまは、新型コロナウイルスとの攻防戦一色です。またSNSも”新コロ”話題が多いです。先週はクルーズ船の状況に関わって、国内外のメディアで、ある医師の動画が話題になり、一方フェイスブックでは、その医師の知人で当事者にもあたる別の医師から、その動画に対する現場視点の意見が公表されて、マスメディアとSNSのつながり、そして第一級のプロフェッショナル同士が実名で私見を表明しあうという、とても貴重な機会を目の当たりにしました。
医療は専門外ですので何が正しいかなどは分かりませんが、この一連の騒動で、20代の頃の苦い経験を思い出しました。その頃は社会人になって4-5年で、なんとなくいっちょ前気分も出てきた頃です。ある大きなお客様向けの電子部品を開発するメンバーの、下っ端の一員でした。開発というとかっこいい響きもありますが、めちゃくちゃ泥臭い仕事です。
そしてこの開発がまあ、まったくうまくいきません。
相手が大きなお客様ですので納める数量も桁違いで、採用されれば月に何十万個も製造する必要があります。実験ラインの少量生産でうまくいっても、大きな製造ラインではばらつきが出て不良品が増える…などのたくさんの問題が発生しました。同じ条件で作っているはずなのに、同じものができない。こういうとき原因を探っていっても、わずかな成分のばらつきや、温度や湿度のばらつき、水や空気の流れとか空気中のゴミとか、もう何がなんだか分からない状況が生まれます。条件を変えてひたすら実験を繰り返し、長引く残業と深夜に試作品のチェックで覗く顕微鏡。朝出勤時に目にする会社の建物が監獄に見えました。今日中にここから出られるかな?とか。すさんだ心理状態です。
企業ですので、儲けを出さなければなりません。シビアに管理すれば作れるかもしれませんが、そのせいでコストが増大すれば元も子もなくなります。だったらもうこの際、根本的に作り方を変えろ!などちゃぶ台返しの意見も出たりして、それに対して何を今さら!とか、もう議論というか、非難というか。
また当然、同じ製品を開発する競合企業も存在します。お客様に直接対応する営業部門からは、競合に負けているぞ!という脅迫混じりの矢の催促。技術にも詳しい開発部長から味噌カス言われつつ、あーしろこーしろと実験方法の細かい指示が下りてくる。それでもうまくいかないので、その状況を細かく報告するように言われ、社内レポートの作成枚数もうなぎのぼり。そしてにっちもさっちもいかない状況で、開発スタッフを増やそうということになり、状況を飲み込めていない元気な人々が送り込まれてきて組織が肥大化し、いろいろなロスと不満が増加。そして組織が大きくなると責任関係があいまい・複雑になり、さらに何がなんだか。
こんな感じで、私は下っ端だったのでまだきっと守られていましたが、まあ二度と経験したくない一時期でした。
いま振り返ってみて「じゃあどうすればよかったのだろう?」と考えますが、何が正解か分かりません。ただひとつ思うのは、こんな状況に陥った組織に正論は無意味だということです。ましてやその正論が、なんら責任を負わない第三者の発したものであればなおさらです。理屈や理論のみでものごとがうまくいくのならシンプルですが、人間の心理や行動そして組織マネジメントが、そんな合理的に片付けられないことは明らかじゃないかなと。そういった人や組織に必要なものは、なんの称賛も感謝も無くましてや非難さえ巻き起こる状況のなかで、さらにその奥に隠れているその仕事の意義を、どう再発見し実感できるか、ということだと思います。そのためには、自分たちを客観視できるちょっとの余裕と雑音をさえぎる壁、そしてあとちょっとの周りの”励まし”が必要じゃないかなと。正論が求められるのは、その次かなと。
こんな極端は状況はなかなか無いかもしれませんが、仕事のいろんな瞬間にはたまには発生することもあるように感じます。そんなときは、ちょっと深呼吸をして乗り越えていきたいです。