社長ブログ

フェイクニュースを見抜けるか?

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
世界で猛威を振るう新コロナウイルスでかすみがちですが、いまアメリカでは、民主党の次期大統領候補を決める予備選が行われています。現職の共和党・トランプ大統領の対抗馬となるので、トランプ大統領も巻き込んだメディアでの応酬も激しくなっていて、そのなかで両陣営のフェイクニュース(虚偽報道・捏造)が大きな問題になっている…というニュースを目にしました。そんなアメリカでは、学校の授業でフェイクニュースを見極めるトレーニングをしているらしいです。気になってちょっと検索してみると、日本でもそういう取り組みは「メディアリテラシー教育」としてあるようで、NHKが学校授業用の教材を提供したりしていました。
ざっと調べたところで、フェイクニュースを見分けるには「情報を読み解く力」が大事とされ、そのポイントは、①情報の発信者は誰か? ②情報は事実か?(ファクトチェック) ③ほかの意見はないか? ④情報の内容は論理的に正しいか? などが挙げられていました。が!少なくとも自分個人に当てはめると、「無理だな。」とあきらめました。
フェイクニュースという問題は、インターネット上のSNSの隆盛とともに大きな社会問題になったと言われていますが、もちろん昔から虚偽報道なんてたくさんありました。今回初めて知りましたが、明治24年には、今の毎日新聞が「西郷隆盛は実はシベリアで生きている!」という報道をして(西郷隆盛生還偽報道事件)、全国的な一騒動があったそうです。そういったことも考えると、いつの時代もだまそうとする人はあの手この手を使ってきますし、信じていたメディアに裏切られた…もあるだろうし、とても太刀打ちできるとは思えないです。またこれだけ氾濫する情報から正しいものを選び取る時間も限られていますし、あとから「新事実発覚!」とか、最近は「報道しない自由がある!」などもあるわけで、きりがないです。
ということで、フェイクニュースを見抜くこと、だまされないことは無理です…が個人的な結論なのですが、そういった個人の能力や努力に頼らなくて済む良い方法はないかな?と考えてみました。
JAROの仕組みのような、ニュースの審査機関を作るのも一つですが、ではJAROをずっと信頼できるか?という課題もあります。そこで一つのヒントは「田舎暮らし」かなと思います。鹿児島みたいな小さなコミュニティで暮らしていると、良い悪いは別にして、他人からどう見られているか?は大きな関心ごとです。例えば、人をだまして大儲けができる!と悪魔のささやきがあったとしても、いやいや、ばれたら鹿児島で暮らしていけなくなる…という、抑止力が働きます。短期的には得でも長期的に考えると損になるので、悪事を思い留まるという損得勘定です。この応用でフェイクニュースも、「フェイクを流すことが長期的に損であるようにする」仕組みができれば、必然的にフェイクニュースの流布を思い留まるのでは?と。
その仕組みとして、発生したフェイクニュースをみんなの共有の知識として保管しておく、「フェイクニュースアーカイブズ」などはどうでしょう。いつ・だれが・どんなフェイクニュースを流したか?をみんなで投稿しあって、後世に伝え残すサービスです。ここでずっと名前がさらされることは不名誉で信頼をなくすから、フェイクニュースは止めておこう…ってならないかなと。
どうでしょう、誰か作ってないですかね?