2020月8月9日
こんにちは、シナプス代表の竹内です。
実は今年、シナプスがサービスを開始して25年になります。Windows95の登場で、一気に家庭にパソコンが普及しましたが、その登場の年に合わせて、1995年11月にシナプスはスタートしました。
実は今年、シナプスがサービスを開始して25年になります。Windows95の登場で、一気に家庭にパソコンが普及しましたが、その登場の年に合わせて、1995年11月にシナプスはスタートしました。
ここで触れるまでもなく、ブロードバンド・パソコン・スマホや、それらを通じて触れる情報そのものの激増など、この25年で情報・通信技術はとてつもない進歩を見せました。でも個人的な実感とすると、なんだかそこまでの激変は感じないです。25年の間のそれぞれの時点は連続的につながり流れ、技術の進歩もその時点時点では次に起こる必然に思えるので、コマーシャルに出てくるような革命的な○○とか、それで自分のライフスタイルが革新的に変わったとは、あまり実感がわきません。個別に数え上げれば、本当はすごく変わっているんですが。
もう一つ、自分に関わる25年があります。私は1945年から25年後の、1970年生まれです。1945年は太平洋戦争の終戦の年、来週の8月15日は75回目の終戦記念日です。子供の頃の写真や、おぼろげな記憶をたどってみても、戦災を思い起こさせるような写真も記憶もありません。生まれたときから、当たり前の平和な世の中でした。パソコンもスマホも、ネットもエアコンもありませんでしたが、不便や不快を覚えていないので、まあまあ便利な世の中だったんだと思います。すごいですよね、焼け野原状態から、たった25年しか経っていないのに。
子どもの自分の感覚では1945年は遠い昔のできごとで、それから25年もの長い時間をかけてできあがった1970年の豊かさは、もはや必然で当たり前のものでした。しかし大人の自分が今から25年を振り返ると、それは短く、たった25年という感覚です。それをあっという間と表現しても、違和感がないです。そう考えると、戦後の壊滅状態から25年という短期間に、1970年の豊かな社会を作ってくれた祖父母や両親たちの世代は、すごいことをやってくれたんだなと思います。
これからの25年、そのときは2045年。人間の脳とAIの能力が逆転するシンギュラリティに到達すると言われる年です。私は75歳で、さすがに現役を退いているはずですが、子どもたちが大人になった2045年に、「鹿児島はこの25年でずっと豊かになったね」と言ってもらえるように、少しでも進んで行きたいと思います。