社長ブログ

ネット社会のぎくしゃく

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
東京オリンピックが開幕しましたが、新型コロナ前に想像していたようなお祭り感は…無いですね。それどころかここに至ってまだ、オリパラ開催賛成/反対の議論は続いています。そしてその議論にも油を注ぐような、オリンピック運営関係者の辞任や解任、過去や現在の発言起因の騒動が、なんか盛り上がっています。この議論や騒動に拍車を掛けているのはやはり、ネット社会になって、SNSなどによる個人の情報発信力が高まったりして、情報源や情報そのものの多様化に一因があるのかなと感じます。

私たち、普通の生活者には難しいですよね。ネット社会以前でしたら、新聞やテレビの報道をそのまま真実として受け取って、そこから自分たちの頭で考えればよかったです、良くも悪くも。でもネットによって情報や情報源が多様化し、様々な立場からの意見や事実が発信され、マスメディア報道が必ずしもそのまま真実ではない、もしかしたら事実ですら無いことがあからさまになってしまいました。確かと思っていたものがあやふやになったネット社会で、数少ない今確かなことは、たぶん誰も真実は分からない、実質的に確かめようがないということです。「真実はわからない」を前提として受け入れて生活することが、ネット社会、情報化社会での常識なのかな、とも思います。

なんか虚無的になってしまいますが、でも、そうでもないかなとも。「真実はわからない」が分かっただけであって、今のネット社会は、ネット社会以前と実は何も変わっていません。なので実生活において本当は、真実なんて大した意味はなかったのかなと。真実を問いだしたら何も前に進みません。罪悪感や道義的なことは置いといて、ウソも最後までばれなければ真実です。

一方で、「真実はわからない」からといって思考を止めてしまう訳にもいかないです。真実は分からないかもしれないけれど、今自分が手に入れた限りある情報の中でどう考えて、どう行動するか。人それぞれの判断力が求められます。加えて、新しい情報が入ったときに、自分の下した判断を改めて問い直す柔軟性も大事かもしれません。

そしてさらに「真実はわからない」を前提としたとき、自分は間違っているかもしれないという謙虚と、相手が正しいかもしれないという寛容も、ネット社会のコミュニケーションにおいて必然的に、より大切になってくる志向とも思います。

ネット社会は何かぎくしゃくして不穏な感じもしますが、でも少数の声が無いことになっていたネット社会以前から比べれば、まだましです。あとは私たち”人”がどう適応し、新しいスタイルを確立するか?でしょうか。