社長ブログ

有限と無限から有限へ

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
今年もよろしくお願いいたします。最近(途中まで)読んだ本に、現代の人々は人類史という壮大な視点においても、大きな分岐点に立っている…という趣旨の話がありました。こういった話はよく見聞きしますし、もちろんいろいろな見方があると思いますが。

その本によると…
人類はもともと「有限」を前提として暮らしていた。それは歩ける距離という地理的限界や、限られた収穫、背中合わせの死と短い寿命、小さな共同体、限られた知識など。しかし貨幣が出現し、交易は発展し、科学技術も進歩。それらによって一気に「世界」は広がり、人類の前に「無限」が出現します。この無限の時代は経済の爆発的な発展で豊かになると同時に、自然や地球または人間同士の征服・搾取といった負の面も大きくなります。そうした無限に向き合う、大きな不安を抱えた人類は、仏教・儒教・キリスト教などにつながる宗教を必要としました。
そしてこの有限から無限の転換の次として今、人類は新たな「有限」に向き合っている…ということです。経済や科学技術の発展で、地球という丸い惑星は有限であることに人類は改めて気付き、無限の拡張という希望を失い、それに恐怖し戦慄している。…これが今ということです。

あやふやな実感しかないのですが、新たな「有限」はなんとなく感じます。これまでの延長線で想像する成長が無限に続くと、もはや誰も信じていないように思いますし。またそんな無限が仮にあったとしても、人類にとって自分たちにとってハッピーだとは思えないような。ちなみに前書によると、さらに貪欲に成長を求める生物種は「ロジスティック曲線」の理論に基づき滅亡するらしいです。

さて、なんでこんな話題に触れているかと言うと、シナプスにとって追い風かも!と感じたからです。
シナプスは経営理念で敢えて、鹿児島という地域にこだわって”線引き”をし、自らに有限を課しています。経済的には、県よりも国、国よりも世界を対象としたほうが、競争は激しいものの、より大きなチャンスがあります。でもシナプスは、顔の見える範囲と考える鹿児島県にこだわりました。これはもちろん、前書にあるような壮大な背景・理由があったわけではなく、単に自分たちがそうしたかったというくらいですが。なのでこの本の話は、ちょっと勇気付けられました。今の時代なら、「有限」に大きなチャンスがあるなと。

2022年、「鹿児島の通信インフラの責任を担えるシナプスへ」を目指して、また気を引き締めていきます。
あ、ちなみに。ねこも、極めて狭い有限で暮らしているようです。だったら人類も真似できるかな。