社長ブログ

ワレワレハ…

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
中小企業家同友会という経営者中心の異業種勉強会で最近、ダイバーシティをテーマとした勉強会がありました。ダイバーシティ/多様性は、もうそこらじゅうで使われている聞き慣れたワードですが、勉強会で知ったダイバーシティの思考と、個人レベルので具体的な実践方法については、とても興味深く新しい視点をもらえる内容でした。

ダイバーシティについてはもう少し勉強してから改めてここで整理したいと思いますが、たまたま「曖昧な態度では議論で埋没する!発言は「私は」で始めてみよう」というダイバーシティ関連の記事が目に止まりました。そのなかで「I statement」(アイ ステートメント・私は~こう思う)という考え方(訓練方法)が紹介されていました。

ダイバーシティは一人を徹底的に大切にしますが、その一人は大切にされるのみの受け身でいいということでは、もちろんありません(少なくとも企業のダイバーシティにおいては)。当然別の一人を大切にするという貢献が求められます。大切にされる一人であると同時に、他の一人を積極的に大切にする、またその集合体である会社組織に対する主体的・能動的な貢献が求められます。そうなると例えば、会議中に黙っているとか無関心とか、批判のための批判といった姿勢などは、ダイバーシティではない…と。
そこでそういった観点からの、ダイバーシティな組織で貢献できる人材をどのように育成するか?となったときに「I statement」が登場します。詳しい話はリンク先を見てもらうとして、「I statement」では発言の根拠として「私」を置きます。別のページでこの提唱者は「日常の会話において~自分自身に限定することで、確からしさを保ちます。それが I statement の第一歩なのです。」と仰っています。

この「I statement」の、発言の根拠として私を置くという考え方、新鮮でした。
仕事上の発言や意見は、主観よりも客観性を持っている方がより望ましいと、思い込んでいました。「I statement」の「私は~こう思う」という主観的な発言は、極論するとただの感想でしかないと。そんな感想のやりとりでは、合理的で有意な結論は導けないと思っていました。その思い込みの全部が間違っているとは思わないですが、ただそれでは、自由で多様で創造的な意見を飛び交わさせることは難しくなります。発言のハードルが上がってしまって。

会社内のミーティングや面談でちょっと感じていた違和感を思い出しました。
それは「私は…こう思います。」の一人称の発言ではなく、「我々は…こう思います。」という主語が複数形の発言、また「○○さんが…こう言っていました。」という三人称の発言をまま耳にすることです。社外の方との打ち合わせで、自社を代表する立場からの「我々」(それでも言うなら「私たち」かな)ならまだ理解できますが、社内でなぜ「我々」なのかと。さらには「○○さんが」に至っては、私とあなたの面談なのに、なぜに第三者が登場するのだろうかと。自分自身ではなく「我々」と「○○さん」を主語として発言するのはなぜか。飛躍するかもしれませんが「I statement」の話から広げると、主語を複数形や三人称にすることで意見の客観性を見せ掛けて、”確からしさ”を補おうという心理が働いているのかなと思い至りました。もっと言うと、根拠の弱さを自覚する発言に自信がなく、自分が責任を持つ一人称の主語が心理的に負担なのかもしれません。この辺りは個々人の個性かもしれませんし、また社内での発言のしやすさや心理的安全性に課題があるのかもしれません。

ではどうしようか?と。
まず「私は~こう思う」という、自分を根拠とした主観の発言を推奨してみようかと思います。そこで議論の裾野を拡げて、その次のステップで「なぜそう思う?」を議論する、または聞いてみる。そして徐々に結論を見出していく…というプロセス。こうすることで自由で多様な意見をベースとして、より創造的なミーティングにつながるのではないかなと。

ちょっと今度、社内で相談してみます。