社長ブログ

手段が目的

こんにちは、シナプス代表の竹内です。
前回のここでのブログで、経営指針の再策定に取り組んでいることに触れました。この経営指針の策定はいろんな効用が期待できますが、その一つに「目的・目標の共有」があります。組織運営に際しては当たり前の重要なことですが、これがなかなか難しいです。

「目的・目標の共有」は、日常のシーンで使う言葉としては「それ、なんのためにやってるの?」を明確にして、共有することです。会社での様々な取り組みは全て最終的には、経営理念の実現に向けた手段となっていることが理想です。でも多くの人が経験すると思いますが、取り組み=手段と、その目的が、時間の経過とともにずれてきたり、挙げ句には、手段だった取り組みそのものが目的化することはよくあります。シナプスの社内でもよくありますし、社外でも見たりします。手段が目的化しないように気をつけよう!…これって当然に重要なことです。と、思っていました。

ある著名な経営者の対談を読んだときに、引っ掛かったフレーズがありました。正確な言い回しは忘れましたがそれは、「エンドレスの努力をするために高い目標を設定する」というものでした。ふつう、努力は手段です。何かの目的・目標を達成するためにするものが努力です。でもその経営者は逆のことを言っています。ただこのフレーズを見たとき、特に違和感はありませんでした。この経営者は「心を高める 経営を伸ばす」とも仰っています。なので、経営を伸ばすためには→経営者の心を高める必要があるので→エンドレスの努力が必要で→そのための高い目標が必要…ということだろうなと。ちょっと堂々巡り感もありますが、なんとなく自分なりに納得していました。ただ納得はしていましたが、特にそれで自分にとってどう、ということもありませんでした。そういう考えもあるよなというくらいで。そのときは。

ここ数ヶ月ですが、なんか気持ち的にせわしい感じがずっと続いています。ずっと仕事が終わらないというか、もちろん一個一個の仕事は終わっていくんですが、「よし一段落付いた」といった気分的な区切りがないというか。休みがないということではなく、休日はあるけどせわしい気持ちと緊張感は続くような。こう文字で書くとなんだか良くない状況のように読めますが、でも最近感じるのは、これは「充実」なのかな?と。過去にもこっぴどい状況が続いたことは、まあまああります。でも振り返りができる状況になってみると、人生において、そうまんざらでもない”時”だったのではないか、と思えることが多いです。もう一度その”時”を過ごせと言われたら嫌ですが。

そういう感覚をちょっと実感してみると、自分をせわしい気持ちに追い込む会社の経営や課題とは、実は自分が充実した時間を過ごすための「手段」とも言えるのかな、とも。そうなると手段が目的化することは、あながち全てが悪いということでも無いのかもしれません。

ちなみに”せわしい”と書きつつ、今日から3日間休んで帰省してきます…。