社長ブログ

遅延の季節

こんにちは、シナプス代表の竹内です。鹿児島では史上初の、全国で一番初めの梅雨入りとのことでしたが、ここ最近は「本当に梅雨入りした?」という雨の少ない日が続きました。でも6月9日の週からは雨が続きそうです。雨かあ…。なんの災害もなく、早く梅雨が明けますように。とは言っても水不足にもなりませんように。

個人的にはJR日豊本線をよく使っています。錦江湾の沿岸を通る路線で、どーんと桜島も見える大変贅沢な車窓です。欠点とすれば、すぐに列車が”遅延”したり”運転見合わせ”になったりすることでしょうか。ちょっと強めの雨が降ると86水害で被災した竜ヶ水駅のあたりで止まったり、また秋になると、霧島神宮駅(霧島神宮駅とは言っても霧島神宮まで6-7kmもある…)近辺で、落ち葉に起因して車輪空転で止まったりします。この前の5月24日も、短時間にちょっと強めの雨が降って列車が止まりました。飲み会があったのに!

梅雨の時期は、朝のJR九州の運行情報チェックは欠かせません。でもこの前の平日の朝。出勤のため最寄りの駅に向かうと、なんと遅延していました。理由は信号機故障。出勤のときに面倒なのは運転見合わせより遅延の方です。完全に止まる「運転見合わせ」であれば、もう諦めて自家用車で出勤します。しかし遅延は困ります。いつ動くか分からない。比較的始業時間には余裕を見て出勤していますが、遅延の時間がどれほどなのか、読めない。
しかしこの日の遅延は、駅で待つこと15分くらいで運良く列車が来てくれました。しかし単線の日豊本線の悲しいところ。対向する列車の行き違いのために、途中の駅でまた十数分足止め。正直いらいら・そわそわします。本を読んでいましたが、列車が停まり続けると発車のタイミングも気になり、なかなか集中できません。とそんなとき、ふと目の前の錦江湾と桜島を見て、思いました。あーなんかおれ、余裕がないのかなと。それは個人的に気持ちの余裕がないということもありますが、その次元だけの話ではなく、なんというかもっと大きな、誰しもが、という感覚でです。

夏目漱石とか内田百閒とかの文豪の小説や随筆を読んだことがあります。詳しくは覚えていませんが、電話も普及していない時代の話です。人の家を訪ねて、でも不在で、そのまま待たせてもらうというシーンがあったりします。なんとおおらかなことか!いつ帰って来るかも分からないのに。いやそもそもいるかどうかも分からないのに行くって、とか。あと列車の遅延なんか、(たぶん)日常茶飯事の出来事です。いらいらしていたらキリがありません。昔の列車はそういうものでしょう。現代はJRは定時運行が当たり前と思っています。昔の列車の時代から、先人たちが便利さ・正確さを徹底して追求し、改善してきた恩恵を受けています。でもそれを前提として乗る側(=私)も予定を立てて、ちょっと遅延があるとそれを受け入れる余裕がないです。けっこう私は慎重派なので、時間には余裕を持ってJRに乗っていますが、でも気持ちは焦り「JR、何やってんだ。」と思ったりします。これが文豪の時代だったら違うのでしょう。遅れることもあるよと事実を受け入れて、そしてその不測事態をどう楽しむか?と考えそうな気がします。私のJR通勤とシチュエーションは異なりますが、内田百閒の阿房列車という列車に関わる随筆(小説?)を読んだときは衝撃でした。用事がないけど列車に乗って大阪に行く、しかも借金までして一等席で、ただ行って帰って来るだけ。この鷹揚な気の持ちようがうらやましい。現代の豊かさって何なのか?と、本当に思います。改めて言うほどのことでもないですが、本当に豊かになったのかと、心底思います。いるかどうかも分からない友だちの家に遊びに行った、小学生のころが懐かしいです。

JR九州についてちょっとGoogle Geminiに聞いたところ、遅延も事故もトレンドとしては減少しているようです。最近故障とかが多いな…と思っていたのは思い込みのようでした。ごめん、JR九州さん。梅雨明けが待ち望まれます。